代表:沢田隆志
大阪市出身
開明高校→横浜国立大学経済学部卒
大手自動車メーカーで経理として勤務。
神奈川県で教育委員会に勤務。その後、
須賀川市の梁取塾で主に中学生を指導。
俳句や短歌を中心に文学を楽しむ。
・須賀川短歌会主催
「第1回みんなで選ぶフォト短歌展」最多得票
・須賀川地域の地方紙
「あぶくま時報」火曜コラム執筆中
課題をこなすのは得意な学生
私は、小学6年生から地域で1番厳しいという評判の学習塾に入り、中学3年までその塾で学びました。塾に通うようになるまで、「賢い」とは一度も言われたことはなく、平均的な学力だったように記憶しています。
塾は評判通り厳しく、居残りさせられることは日常茶飯事、宿題もたくさん出されました。辞めてしまう友達も多かったです。しかし、私はなんとか、指示されたことを頑張ってこなしました。そうすると、成績が上がり、学校での順位も良くなって、いい気分になることができました。
その調子で高校受験を乗り切り、私立の進学校に進みました。その高校も厳しい指導で知られていましたが、私には耐性ができていたので、全く問題ありませんでした。
高校から出される課題をこなしていく3年間。当時のセンター試験での成績は良好(特に国語は満点近かった)で、国立大学に合格することができました。
なんとなく楽しく大学生活を過ごした後、一部上場企業に就職することができ(学歴の力はすごかった!)、キャリアをスタートしました。
そこで、考え方を変えないといけないと痛感することになります。「指示されたことをこなす」だけでは全然駄目だったのです。
「指示待ち人間」だった私
大企業の本社だけあって、周りは優秀な人材だらけ。与えられた仕事を頑張ってこなすだけでは同期にも置いていかれる。でも何をしたらいいのか分からない。そんな新入社員でした。
上司や同僚は優しかったので辛くはなかったのですが、特にやりがいも感じなかったし、会社に貢献できている感覚も持てませんでした。
受験では勝者だったかもしれませんが、社会では無力な人材でした。自分でも少しショックでしたね。
このときの体験が今の指導法に活かされています。
自分で考えられる人材を育てる
最初に働いた会社では、「自分で学び、自分で課題を見つけ、周りとコミュニケーションをとりながら自分で考えて取り組む」ことを求められました。当然だと思います。
決まった業務をこなすだけだったら、コンピュータが人間より速く正確にやってくれますから。
そのことが身に染みて分かっていたので、妻の実家の家業の学習塾を手伝うことになり、最初に考えたのが「自分で考えられる人材を育てたい」ということでした。
そういう人材を育てることで、私自身も社会に貢献したいと思っています。
●事業内容
・現代文長文読解問題の指導
・俳句や短歌の創作および普及活動
・本に関する講演活動
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